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懐かしの撮影記・・・思い出の「北斗星」編 [あおたけ的 懐かしの撮影記]

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あおたけ的、懐かしの撮影記
27年の歴史に幕・・・
さようならブルートレイン「北斗星」
 
  

うだるような真夏の暑さから開放されたのはありがたいけれど ε-(´∀`;)ホッ、このところ関東の週末はあまり天気がよくありません (゚ペ)ウーン…。ネタとなるような特別な列車が走らなくても晴れたら出撃 ε=┌(`・ω・)┘スツゲキ!、もしくは晴れなくても何かネタがあったら出撃 ε=┌(`・ω・)┘スツゲキ!するところなのですが、先週末は個人的に気になるようなネタがなく、天気もぐずついた雨模様だったこともあって、非鉄で過ごしてしまいました ⊂⌒~⊃。Д。)⊃ ヤ~メピ。
そんな自宅に引きこもった私がこの機会に行なっていたのは、ちょっとした発掘作業 (゚ー゚*)ハックツ?。発掘と言ったってウチの床下からアンモナイトの化石が出て来るワケじゃありません (´ω`)ソーダロネ。私が探していたのは、先日に惜しまれつつ運行が終了してしまった最後のブルートレイン、寝台特急「北斗星」の写真や資料です (゚∀゚*)オオッ!!。下り最終列車の様子をお伝えした記事でもちょこっとご紹介していますが、1988年3月の青函トンネル開業とともに運転を開始した「北斗星」、私はその初日一番列車の出発式を野次馬の一人として眺めて以来、廃止となるまでに幾度となく同列車の撮影機会がありました (・o・*)ホホゥ。世代的に誕生と終焉の両方を記録できたブルートレイン(定期の客車寝台特急)はこの「北斗星」だけなので、その引退劇はとくに感慨深いものがあります (つω-`。)サミシ…。そこで今回は、発掘したネガやポジから最近のデジタル画像まで、決して自慢できるような貴重なシーンやキレイな情景写真などはないけれど、私が過去に撮った拙い写真をご紹介しつつ「北斗星」の活躍を今一度振り返り、同列車へ思い入れのある方に少しでも懐かしんでいただけたらと思います (*´ω`*)ナツカシス。
  

  
 

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津軽海峡を貫く青函トンネルの開業とともに
上野と札幌の間で運行を開始することとなった、
寝台特急「北斗星」(゚∀゚*)オオッ!!。
今ではすっかりお馴染みとなったあの青いヘッドマークを
私が実際に初めて見たのは運転開始の初日ではなく、
その前に行なわれた車両展示会でした ( ̄。 ̄)ヘー。
今はなき上野駅18番線ホームで行なわれた展示会、
その先頭に立っていたのはEF81の18号機。
若番機が「北斗星」のマークを掲げるのは意外とレアかも。
88.3 東北本線 上野

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その展示会に使用された編成ですが、
実は営業列車のような11連のフル編成ではなく、
A個室やB個室、食堂車、ロビーカーなど、
「北斗星」の特徴的な車両のみを繋いだ6連でした。
客車の二両目に食堂車のスシが連結されるという珍編成(笑)
88.3 東北本線 日暮里

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そして運転初日となった1988年3月13日、
上野駅では記念の出発式が行われました。
(*゚▽゚)/゚・:*【祝・北斗星誕生 ☆彡】*:・゚\(゚▽゚*)
下り一番列車「北斗星1号」の牽引に抜擢されたのは、
その大役にふさわしい派手な色をした、
特別塗装機(SEレインボー塗装機)のEF81 95でした (゚∀゚*)オオッ!!。
ちなみに当時の「北斗星」は三往復も運転されたおり
(ただし「3・4号」は季節臨)、
初日の「5号」にはお召機の81号機が登板しています。
(「3号」はノーマル機で、たしか93号機だったかな?)
88.3 東北本線 上野

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発車の直前にはテレビ局のライトが「北斗星」の前面を照らします。
でも、このときのホームは先日の最終運転のときと同様に、
多くのファンや見物客でごった返しており、
人垣のスキマからこの一枚を撮るのがやっと (´д`;)人大杉…。
くす玉が割れた瞬間などは、とても拝めませんでした・・・。
88.3 東北本線 上野

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これは「北斗星」がデビューしたとき、
駅におかれていたパンフレット(チラシ)類。
表紙は一番列車を牽いたEF81 95です (゚∀゚*)オオッ!!。
中面では青函トンネルの概要や、
「北斗星」の編成などが細かく紹介されています。
今この編成表を見ると、当時は禁煙車が一両のみだったようです。
ヘー (=´ω`=)y━・~~。

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「北斗星」の誕生を記念して発行されたオレンジカード(手前)。
図柄の写真に採用されたのは「北斗星」のマークを掲げた、
お召機のEF81 81です (゚∀゚)オッ!。
その他に「上野発札幌行き 直通列車運転開始記念」という
記念カードも発行されましたが(左)、
こちらの図柄に使われているのは、なぜか「北斗星」ではなく
青森と函館の間で運転を開始した、快速「海峡」 ( ̄△ ̄;)ナンデ?
ちなみにこの88年3月のダイヤ改正では、
東北線(宇都宮線)の快速「ラビット」や高崎線の快速「タウン」、
京浜東北線の快速などの運転も開始され、
それらの記念カードを収集するのに、かなりの出費だった覚えがあります。

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上野に到着した上りの「北斗星」 (・ω・)ト-チャコ。
よく見るとホームには「北斗星」の乗客を歓迎する
ゲートのようなものも立てられています。
下りの一番列車牽引に抜擢され、
さらにパンフレットの表紙も飾った95号機は
「北斗星」運転開始からしばらくの間、
ほぼ「北斗星専用機」と化していました
(黒磯を無停車で通過できる列車選別装置が
同機にいち早く搭載されていたってこともあるけれど・・・)。
おかげでこの頃の95号機は本来のパートナーである
「レインボー」の牽引にほとんど就かなかったんだよなぁ・・・(^^;)
88.3 東北本線 上野

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これは「北斗星」ではありませんが σ(゚・゚*)ンー、
まだ東北本線の北部で客車による普通列車が運転されていた頃、
「北斗星」の牽引を担当する田端のEF81はその間合いで
盛岡~青森の普通列車牽引にも使われていました。
実際に私はこの95号機が牽引する12系の普通列車に乗ったのですが、
今となっては貴重な経験ですよね (*´ω`*)ナツカシス。
88.3 東北本線 盛岡

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尾久の車両基地で行なわれた一般公開では、
専用機(?)のEF81 95を先頭にして、
「北斗星」が列車の編成ごと展示されました。
「北斗星」に対する当時の注目度の高さが伺えます。
それにしてもココ、架線が張られていないところなのに、
よくパンタを上げて展示したなぁ・・・(´∀`;)スゴイネ。
88.4 東北本線 尾久客車区(当時)

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「北斗星」の誕生に鉄道界が沸いた88年でしたが、
実はこの年の秋には「北斗星」よりも豪華な列車が来日していました。
そう、あの「オリエント急行」です   (゚∀゚*)オオッ!!。
ちょっと解りづらいかも知れませんが、
これは尾久の洗浄線で顔を合わせた「北斗星」の24系と「オリエント急行」。
88.11 東北本線 尾久

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もともとネタガマ(特別機)好きのミーハーな私、
95号機の牽引時ばかりを狙って撮っていたせいか、
ノーマルなローズピンクのEF81が牽く「北斗星」には
見向きもしませんでした o( ̄、 ̄o)彡プイッ。
それがのちになって「北斗星」を牽引するノーマル機の色が
すべて塗り変わることになり (゚∇゚;)エッ!?、
結果としてローズピンク時代を撮らなかったことを悔やむハメに・・・
/(=ω=。)\シマッタ…。
これは私が撮った数少ないローズピンク時代の「北斗星」。
ちなみに、どれも何かのついでに撮ったものです (^^;)ゞポリポリ。
上・88.10 東北本線 北浦和-浦和
中・88.7 東北本線 鴬谷(推進回送の後追い)
下・88.5 東北本線 上野

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原色のローズピンクから塗り替えられたのは、
真っ赤なベースに流星が描かれた「北斗星色」 (゚∀゚*)ホシガマ☆。
「北斗星」のデビューから半年後の88年10月に登場したこの色は、
2010年に後継のEF510へ引き継ぐまで、
実に22年間も「北斗星」の先頭に立ち続け、
「北斗星」と言えばこの色の機関車と言うイメージを定着させました。
上・07.4.30 東北本線 蓮田-東大宮
中・09.7.24 東北本線 片岡-蒲須坂
下・08.3.1 東北本線 高久

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さらに、「北斗星」を進化させたような豪華寝台特急
「カシオペア」が99年にデビューすると、
EF81は同列車に合わせた「カシオペア色」にも塗り変わり  (゚∀゚*)カシガマ☆、
同色機が「北斗星」を牽く姿もしばしば見られました。
06.11 東北本線 郡山

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ローズピンク機が「北斗星色」に塗り替えられ、
「カシオペア色」も現れるなか、
例の95号機は特別色(SEレインボー色)を堅持。
新たな専用機ともいうべき「北斗星色」ができたことで、
以前のような専用機並みの登板率とはならなくなりましたが、
それでも時おり「北斗星」の先頭に立って、ファンを喜ばせました。
ヽ(´▽`*)ノ ニジガマ~♪
個人的に「北斗星」の青いマークがもっとも似合う機関車は、
このチェリーレッドの95号機だと思います。
。゜+.(o´∀`o)カコイイ!゜+.゜。
ちなみに同機は現在もこの色で健在。
上・06.03 東北本線 蓮田-東大宮
下・07.03 東北本線 蓮田-東大宮

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以前に「あけぼの」のメモリアルでもご紹介しましたが、
上野駅での電源車騒音問題に伴い、
ブルトレの編成を従来の逆向きにする必要があり、
「北斗星」も常磐線と武蔵野線を使った方向転換が行なわれました (・o・*)ホホウ
(上野~我孫子~南流山~上野)。
このときは両端に機関車が連結されるプッシュプル形態となり、
片方は本来の「北斗星」を牽引してきたEF81(北斗星色)が、
そしてもう片方には「あけぼの」のときに続き
ファンに人気のEF58 89が使用されました w(゚0゚*)w オォー!!。
EF58が牽引する「北斗星」編成、まさに夢の組み合わせが実現です。
上・91.3 常磐線 新松戸
中・91.3 武蔵野貨物線 北小金-南流山
下・91.3 武蔵野貨物線 南流山-北小金(後追い)
  
 
  
 

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「北斗星」に限ったことではありませんが、
本州と北海道を結ぶ寝台特急は、その通過する各路線の都合上、
牽引する機関車を何度か交換しなくてはなりません ( ̄。 ̄)ヘー。
青森~函館の津軽海峡線で「北斗星」の先頭に立つのは、
青函トンネルを通ることができる専用の電気機関車ED79です (゚∀゚*)オオッ!!。
しかし「北斗星」はこの青森と函館の間を
上りが夜、下りは早朝という時間帯に通過するため、
ED79が牽引する「北斗星」の走行シーンを撮影できるのは、
日の出が早い夏場の下り列車に限られます (゚ペ)ウーン…。
ふだんは撮影地までの移動に列車を利用する徒歩鉄の私ですが、
このときばかりは初発列車では間に合わないため、
前夜に函館でレンタカーを借りて撮影に向かいました。
まだED79のパンタグラフが下枠交差(PS103)の時代です。
08.5.2 江差線 釜谷-渡島当別

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これは記憶に新しい、
昨年の夏に青森の油川(あぶらかわ)で撮影したED79の「北斗星」。
私が訪れた7月の下旬は定時の通過(定期時代)だとまだ日の出前で、
カメラの露出が上がらないなか、苦し紛れの流し撮りで対応しましたが(上)、
二日目の撮影では、なんと「北斗星」に一時間以上もの遅延が発生しており、
朝日に照らされるED79の牽引シーンを撮る事ができましたヽ(´▽`*)ノ ワ~イ♪。
上・14.7.28 津軽線 油川-津軽宮田
下・14.7.29 津軽線 油川-津軽宮田

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このED79のカットは「北斗星」へ乗車したときに、
車内の最後部から撮影したもの (^_[◎]oパチリ。
函館に到着してED79が切り離された瞬間です。
私の「北斗星」乗車経験は、99年と08年のわずかに二回だけでした。
08.7.11 函館本線 函館(車内から)

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初めて「北斗星」へ乗ったときに記念だと思って
勢いで買ってしまったのが、この本革製キーホルダー。
けっこういいお値段だった覚えがあります(笑)
ちなみにこれは「北斗星」で最上級のA個室である
「ロイヤル」のルームキーに使われているものと同デザインとのことですが、
私が乗車の際に利用したのは「ロイヤル」ではなく、
二回あった乗車機会の両方とも、B個室の「ソロ」です (^^;)ゞポリポリ。 
 

  
 

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津軽海峡線のED79からバトンを引き継ぎ、
北海道内で「北斗星」を牽引するのは、
「北斗星色」の青いディーゼル機関車DD51です (゚∀゚*)オオッ!!。
函館本線に急勾配区間がある事や特急としての高速運転を維持するため、
DD51は重連での牽引となり、その迫力にファンは魅了されました。
。゜+.(o´∀`o)カコイイ!゜+.゜。
これは今年の夏旅では「カシオペア」の撮影に訪れた、
大沼公園の小沼湖畔で撮った「北斗星」。
このときもあまりいい天気ではなかったけれど、
先日の土砂降りよりはずっとマシでした・・・(^^;)。
07.7.31 函館本線 仁山-大沼

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実は北海道で「北斗星」を牽引するDD51も
はじめから青い「北斗星色」だったわけではなく、
運転開始当初は国鉄時代からのノーマルな朱色のままでした ( ̄。 ̄)ヘー。
この写真は、ちょっと懐かしい高架化前の札幌駅に滑り込む「北斗星」。
逆光、さらには積雪という条件下のなか、オートの設定で撮影してしまい、
思いっきりド・アンダーとなったものをムリヤリに明るくしたヒドい写真ですが、
これが私のなかで唯一残すことができた、原色DD51の「北斗星」でした。
88.3 函館本線 札幌

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何度か撮影機会があったDD51「北斗星」ですが、
どうも私は北海道での同列車とは相性が良くないらしく、
スッキリとした晴天でのカットはほとんど残せませんでした (´・ω・`)ショボーン。
「北斗星」よりも先に通過する「カシオペア」や
「トワイライトエクスプレス」のときは晴れていたのに、
「北斗星」の時刻になると曇るなんてこともしばしば・・・(ノД`)ドボジデ。
上・07.4.28 函館本線 長万部-静狩
中・08.4.30 函館本線 北豊津-国縫
下・11.6.4 室蘭本線 洞爺-有珠

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そんな撃沈続きのなか、四年前の北海道遠征で撮ったこの一枚が、
私にとって唯一と言っていいDD51「北斗星」の
晴天順光カットになりましたヽ(´▽`*)ノ ワ~イ♪。
やはり日差しを浴びる青い列車はいっそう鮮やかに見えますね
。゜+.(o´∀`o)カコイイ!゜+.゜。
できることならこのような好条件で、もっと撮りたかったところです・・・。
11.6.6 室蘭本線 長万部-静狩

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そして先日の北海道鈍行旅の二日目に撮った、礼文での一枚。
これが最後のDD51「北斗星」撮影になりましたが、
やはりこの日も曇りでした・・・(・ε・`)チェ。
でも終焉迫るこの時期に、一枚でも残すことができたのは、
大きな収穫でした (´ω`)ソーダネ。
15.7.27 室蘭本線 小幌-礼文

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これはその旅の途中に函館駅構内の売店で買った、
「北斗星」引退記念のメモリアルブックとクリアホルダーのセット。
ブックには運転開始当時から最終運転までの編成表や時刻表などが
きれいな写真とともに掲載されています      (゚∀゚*)オオッ!!。
そして同誌には道内の5駅で発行された「北斗星引退記念入場券」が
巻末に収納できるようになっているのですが、
旅行記で綴ったとおり、私は3駅分しか集められませんでした。 
 

  
 

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ここからは再び本州(上野〜青森)での牽引機に話を戻します。
運転開始当初から先頭に立ってきたEF81に代わり
2009年に二代目の「北斗星」牽引機として新製されたのが、
JR貨物によって開発された新世代電気機関車、EF510  (゚∀゚*)ゴトーサン☆。
JR東日本に配置された旅客用は500番台に分けられ、
塗装は「北斗星」の24系客車に合わせた青を採用。
車体側面にはEF81のものよりもシャープな流れ星が描かれています  (・o・*)ホホウ。
これはその第一号となる501号機の輸送シーン。
09.12.19 武蔵野線 新座

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青い機関車による青い客車の「北斗星」。
赤いEF81とはまた違う、統一された編成美が
このEF510牽引では感じられました。
。゜+.(o´∀`o)キレイ!゜+.゜。
ただ、個人的な印象としてEF510は「カシオペア」には似合うけれど、
「北斗星」はやはりEF81のイメージが強く σ(゚・゚*)ンー…、
EF510になってから私は「北斗星」の撮影機会が減ったように思います。
上・15.2.22 東北本線 蓮田-東大宮
中・11.9.18 東北本線 豊原-黒田原
下・12.5.19 東北本線 蓮田-東大宮

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EF81に代わって投入されたEF510には、青い「北斗星色」の他に、
「カシオペア」に合わせた銀色の「カシオペア色」も存在します (゚∀゚*)ギンガマ☆。
でも、EF510になってからの撮影機会が減ったことを物語っているように、
実は「カシオペア機」の「北斗星」を私が撮ったのは、わずかにこの一枚だけ。
これも都心に雪が降ったので撮りにいったら、
たまたま「カシオペア機」だったんですよね・・・ (^^;)ゞポリポリ。
11.2.11 東北本線 赤羽

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デビュー以来使われ続けてきた24系客車の老朽化、
さらには青函トンネルを通る北海道新幹線の工事が佳境を迎えるにあたり、
ついに今年の3月で定期運行を終了することになった「北斗星」(´・ω・`)ショボーン。
しばらくの間は臨時列車として運転が継続されるものの、
臨時化によって発車時間が夜の19時過ぎから、
まだ明るさが残る16時過ぎに繰り上げられるため、
夜行列車らしいシーンでの記録を残しに撮影へと出向きました。
やっぱりブルートレインは夜の情景が似合います。
ちなみに上のカットは、以前に「あけぼの」でもトライした撮り方ですが、
定時運行だと「北斗星」は京浜東北線にホームの光が遮られてしまうため、
車体があまりキレイに出てくれませんでした・・・(´д`;)アウ。
上・15.2.21 東北本線 王子付近
下・15.2.25 東北本線 東十条-赤羽

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定期運行が終了してから約半年後の8月、
臨時として残されていた「北斗星」も
とうとう終焉を迎えることとなりました (´・ω・`)ショボボボーン。
今さら焦っても・・・と思いつつ、
やはり最後の一週間はその動向が気になってしまい、
時間があれば近場へと撮影に行ってしまいました。
これは尾久の車庫から上野への推進回送を撮ったもの。
上野名物ともいえる24系の貫通扉を開けた推進回送も
今ではもう見ることができなくなってしまいました。
15.8.17 東北本線(回送線) 尾久-上野 
 

  
 

青函トンネルが開業して走り始めた「北斗星」。正直言うとデビュー当時、私はこの列車があまり好きではありませんでした ( ̄△ ̄;)エ…。その理由は、それまで常磐線経由で上野と青森の間を結んでいて、私がもっとも愛着を持っていたブルートレインの「ゆうづる」が、実質この「北斗星」によって置き換えられてしまったから σ(・ω・`)ユウヅル…。それに当時の東北本線を走っていた従来のブルトレは直流機のEF65がメインで使われていて、交直両用機のEF81というと常磐線のイメージが強かったハズなのに、「北斗星」の牽引機にEF81が抜擢されたことで、同機までも東北線に持っていかれてしまった感じがしたものです ヽ(´д`;)アア…。そして新たに決まった「北斗星」って愛称、北海道にはすでに「北斗」って特急が走っているのに、そんな似たような名前では面白くないじゃん! やはり愛称は伝統の「ゆうづる」を継承し、列車は常磐線経由の札幌行きにすべきなんだ!!“(*`ε´*)ノ彡☆バンバン!!・・・な~んて、いち常磐線沿線民はひとりで憤慨したものでした(笑)。ちなみに「北斗星」って愛称の公募順位は108位で、意外にも低かったというのは有名なハナシです(一位はたしか「北海」だったかな?)。そんな「北斗星」も時が経つにつれて北のブルトレを代表する列車として定着し、もちろん私も当初のわだかまり(?)などすっかり無くなって、いつしか一度は乗ってみたい思う憧れの列車となっていました σ(・∀・`)ノリタイ…。念願かなって初めて乗った時にはやはり嬉しくて寝ることができず、一晩中車窓を眺めていたっけ・・・ (*゚∀゚)=3ハァハァ!。撮影の方ではやはり他のブルトレと同様、列車利用の徒歩鉄だと初発列車に乗っても撮影できる範囲が限られてしまい、上り列車では「ヒガハス(東大宮~蓮田)」での撮影ばかり。それでも写真で紹介したような機関車のバラエティなどがあって、撮影に行くたびにワクワクさせられました。いっぽう、北海道での下り列車は泊まりがけの旅行中に撮っていることもあり、結構いろいろな場所で記録することができたように思います。ただ、天気との相性は良くなかったなぁ・・・(^^;)ゞポリポリ そして心残りなのは、北海道らしい雪景色での写真が撮れなかった・・・と言うか、撮らなかったこと。冬の北海道の寒さに臆することなくトライすべきだったと、今さらながら後悔しています(昨年の1月に行った札幌出張のときは、関東の雪で「北斗星」が運休になっちゃったんだよね・・・^^;)。でも、こうやってあらためて撮り溜めた写真を見返すと、「北斗星」の歴史とともに自分の撮り鉄歴も歩んできたような気がしており、どれもがホントに思い出深くていい記録です。きっと知らぬ間に、自分がいちばん多く撮ったブルトレは「北斗星」になっているのではないかな・・・σ(゚・゚*)ソーカモ。

さようならブルートレイン「北斗星」、みんなの夢と思い出をいっぱい運んでくれて、ありがとう☆  サヨナラ~(´;ω;)ノ~~~ 
 
  
 

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そして、最終運行・・・。
下り列車の方は先日にお伝えしたので、
今回は本当のラストランとなった23日上野着の上り列車を。
混雑を避けて、私が見送ったのは尾久駅近くの跨線橋です。
夏の終わりとともに、「北斗星」は去ってゆきました。
サヨナラ~(´;ω;)ノ~~~。
15.8.23 東北本線 尾久-赤羽(後追い)


 



共通テーマ:趣味・カルチャー

懐かしの撮影記・・・両毛線「ベルギーお召し」編 [あおたけ的 懐かしの撮影記]

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あおたけ的、懐かしの撮影記
思川の思い出・・・
両毛線「ベルギーお召し」編
 
  

先日に撮影記をご紹介した、485系の臨時快速「足利大藤まつり号」。いわきと桐生の間を常磐線、水戸線、両毛線経由で運転されたこの列車、私は往路の撮影を水戸線の鬼怒川橋梁で、そして復路の撮影地に選んだのが両毛線の思川(おもいがわ)でした【◎】]ω・´)パチッ!。その記事でもちょろっと触れていますが、この思川に私が撮影へ訪れるのはおよそ20年ぶりのこと ( ´_ゝ`)フーン。20年前の両毛線・・・ひょっとしたらこの時点でピンときた方がいらっしゃるかもしれませんね σ(゚・゚*)ンー…。正確には19年前の1996年10月24日。その日、私が思川へ撮影に訪れた列車とは・・・(*゚ロ゚)ハッ!! そう、あの「伝説」の列車、ロクイチ+一号編成による「ベルギーお召し」です w(゚0゚*)w オォー!!。今回は19年前に両毛線で運転されたこの列車を「懐かしの撮影記」としてご紹介したいと思います (*´ω`*)ナツカシス。ホントは「足利大藤まつり号」の記事にオマケで載せようかとも考えたのですが、ネタがネタだけにオマケ扱いじゃもったいないと思い、別枠の「懐かしの撮影記」にしてみました(笑)。


いまから20年ほど前、平成初期のお話。当時、鉄道ファンに絶大な人気を誇っていた一機の電気機関車がありました (・o・*)ホホゥ。それが「お召し列車(天皇陛下が御公務などで乗られる特別列車)」を牽引する専用機として製造された、EF58形直流電気機関車の61号機(EF58 61)、通称「ロクイチ」。その製造理由や輝かしい経歴だけでなく、丁寧に磨き上げられた車体の美しさにもファンは魅了され 。゜+.(o´∀`o)カコイイ!゜+.゜。、ひとたびこのロクイチが動けば沿線には撮り鉄によるカメラの砲列ができるほどのスター的な人気ぶりです パシャ! Σ【◎】]ω・´)パシャ! Σ【◎】]ω・´)パシャ!。しかし、平成になってからは特別扱いを嫌う今上天皇陛下のご意向によってお召し列車の運転機会は以前よりも激減し、専用機であるロクイチが牽引するお召し列車は昭和時代の1985年(昭和60年)以降、10年以上も運転されていない状態 σ(・ω・`)ウーン…。さらに1953年製の同機は、当時ですでに製造から40年以上が経過しており、車齢的にみてもロクイチのお召し牽引はもう二度と無いだろう・・・というのが多くのファンの見方でした ヾノ・∀・`)ナイナイ。

80年代はまだまだ撮り鉄として駆け出しだった学生時代の私は、ロクイチが牽引するお召し列車(ロクイチお召)を一度も撮ったことがなく、私にとってロクイチお召の撮影は憧れというか、まさに夢のようなものです σ(・∀・`)イイナァ…。しかし先述のような理由から、その実現度はかなり低いのが実情。ロクイチ自体はお召し列車牽引以外にもイベント列車などに駆り出されていて、私はそれを撮って満足するしかありませんでした (・ε・`)シャーナイネ。

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車両基地公開のイベントで、
日章旗を掲げた「お召し装備」で展示された、
「ロクイチ」ことEF58 61。
▲87.4 東海道本線 品川運転所(当時)

そんなロクイチはふだん、東海道線の田町と品川の間にある旧・東京機関区(品川運転所)に常駐していて、東海道線の車窓からもその姿を確認することができました ( ̄。 ̄)ヘー。時は90年代の半ばとなり、社会人数年目で休鉄(撮り鉄休眠)状態だった私ですが、東海道線に乗るときはクセのようにロクイチの姿を目で追っていたものです オッ!(゚∀゚*)イタッ!。ところが、ある日からそれがぱったりと見当たらなくなってしまいました (゚ー゚?)オヨ?。休鉄で学生時代の情報網とは疎遠になっていた私でしたが、さすがにロクイチのことは気がかりで(まさか廃車に? (゚ロ゚;)マサカ! ・・・なんて)、久しぶりに鉄を続けていた友人に連絡を取ってみると(メールが一般化されていない時代でしたから、当然、連絡手段は電話です モシモシピエロ~>(´▽`[]ゝ )、そこで私の耳に入ってきたのは「どうやら10月に両毛線でお召し列車が運転されるらしい。カマ(牽引機)はロクイチだとか・・・」という、ぶっ飛びそうになるほど驚きの情報 Σ(゚□゚(゚□゚*)ナ、ナニーッ!!。なんと、ロクイチお召が走る!? (゚ー゚;)マジカヨ… でも、このような真実味の薄いガセネタは常に多く流れていて、人づてで聞いたと言う友人はこの時点で半信半疑 (;¬_¬)ウーム…。私も「もしホントだったらスゴいよね ヽ(´∀`;)ハハ 」なんて笑いながら、電話を切りました。しかしその半月後くらいには、両毛線で実施された客車の試運転が雑誌の写真投稿欄に掲載され(たしか89+12系だったかな?)∑(=゚ω゚=;)エッ!?、にわかにあの「夢の列車」の真実味が高まってきたのです マジデ(゚ー゚;)マジナノカヨ…。そしてもうひとつの手がかりは新聞やテレビのニュース。10月某日にベルギーの国王夫妻が来日され、天皇皇后両陛下が栃木県足利市にある史跡・足利学校をご案内するとのこと (`・ω・´;)フムフム。足利と言えば、ウワサの両毛線沿線・・・。ここまで来るともう疑いの余地はなく、どうやらホントに両毛線でお召し列車が走るようです (゚ー゚;)マジダッタンダ…。それでも私はまだ「ロクイチ牽引」というところが信じられませんでしたが (;¬_¬)ウーム…、たとえ他の機関車が牽引しようと、たとえ電車での運転だろうと、お召し列車は走るだけでもスゴいこと。私は友人とともに撮影へ行くことを決め、運転日とされる日の有給休暇を会社に申請しました 口⊂(_ _ )ヨロシコ(運転日は平日の木曜だったんです) 。

結局、私も友人も運転日は掴んだものの詳細な通過時刻はわからぬままでしたが、天皇陛下や国賓が乗られるお召し列車ですから極端な早朝や深夜はありえないでしょう σ(゚・゚*)ンー。初発電車で駆けつけて、朝から沿線で待ち構えていればいつかは通過するはず。そんな心構えで両毛線へと向かいます。小山で東北線から乗り継いだ両毛線の車内は、お召列車の運転を決定づけるかのように多くの同業者でごった返していて w( ̄▽ ̄;)wワオッ!、これは撮影地の混雑も必至。ウワサによると光線状態のいい場所などは数日前からの徹夜組も出ているとか・・・(´д`;)スゲーナ…。そんななかで小山を発車した両毛線が最初に通る撮影ポイントが、小山と思川の間にある田園地帯です (゚∀゚)オッ!。ここは車窓から見た限りではまだ立ち位置にじゅうぶんな余裕がありそうでしたし、この先にある撮影地の混み具合がどれほどなのか解らないので、私たちは安全策を選んで無難な思川で下車しました m9(`・ω・´)ケテイ!。そして駅から歩くこと10分弱、カメラを構えたのが先日の「足利大藤まつり号」を撮った場所の逆アングル(下り側)です (・o・*)ホホゥ。光線状態はあまり良くないけれど、とにかく編成がスッキリと抜ければいいや・・・当時はそんな感じでした (´∀`;)マ、イッカ。この場所に集まった同業者は最終的に30人くらい(だったと思う)となり、近くにいた詳しい方から教わった通過時刻が近づくと、あたりに漂うのは今までに味わったことがないような独特の緊張感・・・(°_°;)ドキドキ。そこで誰かが発した、「来たっ!(゚∀゚;)」の声が今でも記憶の中によみがえります。直線上に見えてきたのはまぎれも無い、日本とベルギー両国の国旗をはためかせたロクイチの勇姿でした (ノ゚ο゚)ノ オオオオォォォォォォ-!!。

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ベルギー国旗と日の丸を掲げ、
粛々と両毛線を進む、ロクイチ牽引のお召し列車。
▲96.10.24 両毛線 小山-思川

実に11年ぶり、平成初となったロクイチお召。よく見れば光線状態はマンダーラっぽいし、ベルギー国旗が翻ってしまったのは残念でしたが、それでもロクイチが牽引する(新)一号編成という夢のような列車が撮れたことに、私だけでなくまわりの方々からも一斉に歓声が沸き上がりました バンザ━━━\(≧∇≦)/\(≧∇≦)/\(≧∇≦)/\(≧∇≦)/━━━イ!! 。当時はとにかく興奮と感動でアタマのなかが真っ白になり ( ゚ρ゚)ポカーン 、両陛下とベルギー国王夫妻が乗られた貴賓車(中間に組み込まれた特別車両)を撮る余裕は無かったみたいですが、ハッと我に返って ∑(〃゚ o ゚〃) ハッ!! なぜか客車列車なのに後追いを撮っています Σ【◎】]ω・´)パチッ!。これも今となってはいい記録かな?(笑)

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振り返って、後ろからも撮影していました。
踏切に集まっているのは撮り鉄ではなく、
歓迎する地元の方々です。
▲96.10.24 両毛線 思川-小山(後追い)

この日のお召し列車は小山と足利の間を一往復する予定で、午前に往路、夕方に復路が運転されます。まさに先日の「足利大藤まつり号」のようなスジ(運転ダイヤ)ですね σ(゚・゚*)タシカニ。「大藤まつり号」のときは往路と復路の間に食事をとったり、東武の撮影へ転戦したりして時間を潰しましたが、このお召し列車のときは復路の通過時刻を同業者から聞いていたものの、往路撮影後すぐに思川駅を挟んだ反対側(栃木寄り)の撮影ポイントへ移動し、場所を確保しておくために通過までジッと待ち続けていました ジ━━━(`・ω・´)━━━ッ。この日は空模様がめまぐるしく変わるような「猫の目天気」(=ΦωΦ=)ニャア。待ち時間には小雨がぱらつくような時間帯もあり ヽ`、┐( ̄o ̄;)アメダ… お召し列車に日が当たってくれるかは微妙な感じです。フィルムを曇り空に対応した高感度のISO400にするか、それとも晴れることを信じて低感度で粒状性の細かいISO80(VELVIA+1ってやつね)にするか悩みましたが (。-`ω´-)ンー、お召し列車が始発駅の足利を発車する頃になると日差しが回復 (゚∀゚)オッ!。私は低感度のフィルムを装填して通過を待つことにしました。そして緊張の瞬間が再び・・・(°_°;)ドキドキ

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秋の夕日に照らされて、
お召し列車の豪華編成が美しく輝きました。
▲96.10.24 両毛線 栃木-思川

雲に遮られること無く、きれいな西日に照らされたお召し列車。まさに最高の条件です! (ノ゚ο゚)ノ オオオオォォォォォォ-!! ロクイチお召が現代に走るだけでも奇跡的なことなのに、この光に恵まれるとは・・・思わずシャッターレリーズを押す指が震えたものでした (((`・∀・´;)))ブルルッ!。実はこのとき何よりも印象に残ったのは、傍らを走り去る御料車の中央に掲げられた菊の御紋が、一瞬キラリと光ったこと。あのシーンは20年近くたった今も脳裏に深く刻まれています ゚+。*・感。゚(゚ノД`゚)゚。動・*。+゚。

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去りゆくお召列車をまたも後追い撮影。
結果的にこれが私の見る、
最初で最後のロクイチお召でした
▲96.10.24 両毛線 思川-栃木(後追い)

そして私はこの夕方の光線状態を覚えていたことで、同時間帯に運転された先日の「足利大藤まつり号」の復路を思川で撮ろうと決めたのです。あの日から19年・・・「夢の列車」を撮る事ができた、思川の思い出でした (*^^*)


ちなみにロクイチはその後、99年に中央線の大月~原宿で「ルクセンブルクお召し」、さらに01年には東海道・横須賀線の東京~北鎌倉で「ノルウェーお召し」が運転されましたが、前者は仕事の合間を縫って近場の駅へ撮影に出向くも、中央線の201系にモロカブりされて撃沈・・・il||li_| ̄|◯il||li(これは私の撮り鉄史上、もっともショックなカブりでした (つω-`。)グスッ)。後者は海外出張中で撮影に行けませんでした (・ω・`)ザンネン。そしてロクイチはお召し列車以外のイベント列車牽引などでも活躍し続けましたが、08年に重度の故障(台枠の損傷と言われています)が発覚し、事実上の引退・・・(´・ω・`)ショボーン。今はお召し列車を後任の特別車両・E655系に託して、客車の一号編成とともに東京総合車両センター内の特別倉庫(御料車庫)にて保管されています。

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現在は東京総合車両センター内に保管され、
通常、一般には見ることができない「ロクイチ」。
今のところ、公の場に姿を見せたのは、
10年夏の同センター一般公開時が最後となっています。
▲10.8.28 東京総合車両センター

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栄光の「ロイヤルエンジン」EF58 61。
もう二度と、その力強い走りは見られないのでしょうか?
▲06.06.10 高崎線 岡部-本庄



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懐かしの撮影記・・・ブラジルの貨物列車 編 [あおたけ的 懐かしの撮影記]

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あおたけ的、懐かしの撮影記
[サッカー]FIFA World Cup 2014[サッカー]
ブラジル大会 開幕記念!
思い出の「ブラジルの貨物列車」


サッカーファンにとって4年に一度のお祭り、ワールドカップ・ブラジル大会が開幕しました~!!
 イエ
━━━ \(≧▽≦)丿三\(≧▽≦)丿━━━ イ!!
おそらくこれからの一ヶ月間、私は寝不足の日々が続くことでしょう (今朝も4時起き・・・
(*´0)ゞoOフアアァァ…)。 そして撮り鉄活動の方も、少し稼働率が低くなるかもしれません。まあ、今は晴天の少ない梅雨時だし、ちょうどいいのかも。

さて、今回はそんなブラジルW杯の開催を記念して、私が以前にブラジルを訪れた際に撮影した鉄道写真を、ちょっくら引っ張りだしてみました。スミマセン、W杯とはじぇんじぇん関係ないのですが、こんな機会でもないと、なかなか日の目を見ないと思ったもので・・・(^^;)ゞポリポリ

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今から10年ほど前に仕事の出張で行った、南米・ブラジル。日本から見ると、ちょうど地球の反対側に位置し、飛行機で25時間もかかります。しかもこのときの目的地は、空港のあるリオ・デ・ジャネイロの街から、さらにクルマで6時間。舗装されていないようなデコボコ道をひたすらに走り続けました ゴトゴト(((((´д`;)))))ゴトゴト 。
遠い異国の地でクルマに揺られながらも、やはり私が気になるのは現地の鉄道。しかし、車窓から駅や線路を見かける事はあっても鉄道車両の姿はなく、寂びれた感じのその駅や線路が実際に今も使われているのかどうか、定かではありません。事前に軽く調べたところによると、リオやサンパウロなどの都市部には路面電車や地下鉄があるらしいのですが (そういえば最近、ストライキなどで話題になりましたね・・・^^; )、都市間を結んだり、国境を越えたりするような長距離路線は無いとのこと・・・ ( ´_ゝ`)フーン…。

ところが、しばらく田舎道を走っていると、突如、踏切の手前でヘルメットをかぶった一人のおっちゃんに、クルマを停止するよう促されます。何事かと現地ドライバーが尋ねてみると、どうやら「もうすぐ列車が通るから、しばらく待て」と、言っている様子 ∑(=゚ω゚=;) ナニッ!? 。警報機や遮断機などいっさい無い踏切。おそらくこの係員が遮断機代わりになって、クルマを止める役目をしているのでしょう。それにしても、ちゃんと列車が走っていたのですね! たしかに窓を開けると、山あいにかすかな走行音が聞こえます。ですが、それはまだはるか遠くを走っている感じ・・・σ(゚・゚*)ンー 。それでも係員は頑にクルマを通してはくれず、ドライバーもいったんクルマのエンジンを切りました。もちろん、私はここぞとばかりにクルマを飛び降り、カメラを構えます ε≡ε≡ε≡ヘ(*゚∇゚)ノ ラキー♪ 。

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あらためて辺りを見渡すと、踏切脇にあるのは熱帯雨林の中にぽつんと佇む小さなホームだけ。軒下に掲げられている「CABANGU」が駅名かな? しかし時刻表などは見当たりません。一体ここにどんな列車がやってくるのでしょうか? ドキドキo('∇'*o)ワクワク♪  心躍らせながら待つも、やはりなかなか列車はやってきません。クルマを止められて10分近くが経ったころ、森の奥から地響きのような轟音が近づいてきて、ようやく姿を現したのは・・・大きなディーゼル機関車! 旅客列車ではなく貨物列車です w(*゚o゚*)w オオー!!

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なんとこの列車、ディーゼル機関車三重連というド迫力で、後に続く貨車もものすご~く長い編成。正確な両数は数えていないので解りませんが、記憶では20~30両ぐらいはあったような気がします ポカ―(o゚Д゚o)―ン 。ゆっくりと走る長編成の貨物列車が通り過ぎるまでには、さらに5分以上もかかることになりました。その間に、クルマを静止した遮断機代わりの係員は、列車が通過し終わる前に、傍らに止めてあったバイクでさっさと走り去ってゆきました。彼は常駐しているわけではなく、列車の通過時刻にだけ立ち会うようです。

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結局、トータルで20分近くも足止めされた踏切。日本ならば大渋滞ですが、ココが開くのを待っていたのは我々のクルマと、一頭の馬に乗ったおじさんだけでした (´∀`;)ノドカ~

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ちなみに、現地のコーディネーターにあの小さな駅(CABANGU)のことを尋ねてみたところ、詳しい事は知らないけれど、こんなところに旅客列車が走っているとは思えず、おそらく貨物列車の乗務員交代用の駅ではないかとのこと。踏切で偶然に出会うことができたブラジルの貨物列車、これは鉄運に恵まれていたと言っていいでしょう。今のところこの列車が、私の撮り鉄人生でもっとも遠い地で撮った鉄道写真です(^^)。

 

それにしても、ブラジルって言うと、青い空、青い海、そして華やかなサンバカーニバルなど、明るいイメージだったのですが、私が滞在した一週間は、ず~~~~~っと冷たい雨続き。キリスト像で有名なコルコバードの丘から見たリオの景色(↓)も、イマイチでした・・・ε-(-ω-;)。 今のW杯期間中はなるべくお天気に恵まれて、最高のコンディションで、最高のプレーを見たいものですね~(^^)

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写真はすべて、04年5月ブラジルにて撮影。



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懐かしの撮影記・・・思い出の「あけぼの」編 [あおたけ的 懐かしの撮影記]

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あおたけ的、懐かしの撮影記
ついに定期列車廃止・・・
思い出の、ブルートレイン「あけぼの」


明日の3月15日に実施されるダイヤ改正に伴い、本日14日発、翌15日到着分を持って、長年にわたり上野と青森の間を結んできた、寝台特急「あけぼの」の定期列車が運転終了となります。ここ数年、利用客のニーズに合わせた合理化や効率化(←あくまでもJR側の言い分ね ()`ε´#() ブーッ )、さらに車両の老却化などから、衰退の一途をたどってきた夜行列車。この「あけぼの」の廃止により、ついに国鉄時代から走り続けてきた伝統の寝台特急は、すべて姿を消すことになりました(´;ω;`)。それだけに国鉄時代を知るものとして、今回の「あけぼの」廃止は感慨深く、寂しさもひとしおです。そこで急遽、過去に私が撮った「あけぼの」の写真を、何枚か引っ張りだしてみました (((;・ω・)/□/ ヨイショ 

基本的に首都圏と秋田・青森を結んできたことに変わりはないものの、過去に何度も運転経路の変更を行ないながら、今日まで運転され続けてきた「あけぼの」。それだけに様々な機関車との組み合わせが見られたのも、この列車の特徴では無いでしょうか。そんな機関車のバリエーションなどを中心に、ちょっぴり懐かしさを感じるネガ・ポジ時代のものから、最近のデジタルカメラで撮影したものまで、ここでいくつかご紹介したいと思います。

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上野~福島~山形~秋田~青森と、
東北本線・奥羽本線を経由していた時代。
上野~黒磯の直流電化区間は
田端機関区に所属するEF65PFが担当していました。
今見ると、青いPFにオレンジ色の「あけぼの」マークは
とても似合っているように見えますが、
当時はEF65PFの人気は低くて、カメラを向けるものも少なく、
私もあまり積極的には記録していませんでした・・・
ヾ(_ _。)ハンセイ…。
▲88.10 東北本線 日暮里付近

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上写真と同じEF65PFでも、
真っ赤な「レインボー」塗装が施された1019号機の
「あけぼの」牽引は、ちょっとレアなシーンでした。
虹釜だと記録しているあたり、
昔からネタモノ好きだったのね・・・(^^;)ゞポリポリ。
▲90.9 東北本線 日暮里付近

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いっぽう、黒磯から先の交流電化区間では
福島機関区の交流型電気機関車が担当。
黒磯~福島の牽引はED75。
これは以前にもご紹介した、
福島駅で撮影したED75の重連です。
(お金のないモノクロ時代・・・^^;)
個人的に「あけぼの」のマークは、
今でもこのED75がいちばん似合うと感じています。
▲90.8 東北本線 福島

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板谷峠を越える福島~山形の牽引には、
EF71やED78が重連で使用されていました。
これも以前に紹介した写真ですが、
このころは山形新幹線開業に伴う奥羽本線の改軌直前で、
EF71最後の勇姿を記録しようと福島駅で一夜を明かして、
記録にいそしんだものです・・・(´▽`*)ナツカシーネ。
▲90.8 東北本線 福島

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難所の板谷峠を越えたのち、
山形~青森は再びED75の牽引になった「あけぼの」。
たしか、こちらのED75は
秋田か青森の機関区所属だったと思います。
▲87.3 東北本線 青森

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これは正式な営業運転ではありませんが、
上野駅での電源車騒音問題に伴い、
「あけぼの」編成を方向転換するために運転された回送列車。
牽引にはなんと当時絶大な人気を誇っていた
田端機関区のEF58 89(通称・パック)が抜擢されました。
w(゚o゚)w オオー!
回送とはいえ、パックが24系の「あけぼの」編成を牽いて、
地元の常磐線を走る・・・これには興奮したものです。
▲90.9 常磐線 南柏

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これも上写真と同列車。
地元の利を活かしてチャリンコで先回りし、
沿線にあるマンションの管理人さんに立ち入りをお願いして
撮らせてもらったもの 人(´ω`○)オネガィ。
それぐらい、パック+24系11連は魅力的なネタでした(笑)。
▲90.9 武蔵野貨物線 北小金-南流山

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「あけぼの」牽引のネタガマといえば、
やはり「レインボー色」のEF81 95。
山形新幹線開業に伴うルート変更
(東北本線・陸羽東線・奥羽本線経由)後に
EF65PF、ED75のあとを引き継いで、
上野~小牛田を田端運転所のEF81が担当をした時代と、
さらに現在のルートである上越回りの時代にも、
同機は何度か「あけぼの」の先頭に立った実績があります
(写真は後年の上越経由時代のもの)。
▲08.5.5 東北本線 南浦和-蕨

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一時的に非電化路線の陸羽東線を経由していた頃には、
ディーゼル機関車のDE10が重連で
「あけぼの」を牽引していたこともありました。
しかし陸羽東線内の通過は深夜帯だったこともあり、
私はそのルートを乗車したことはあるものの、
撮影することはできませんでした。
ちなみにこれは、現在の「あけぼの」が青森終着後に見られる
DE10牽引の回送列車。
「あけぼの」が廃止されると、
こんなシーンもなかなか見られなくなります・・・。
▲10.12.3 東北本線 青森

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そして近年。
秋田新幹線の開業に伴い、再度ルート変更が行なわれ、
上越線・羽越本線・奥羽本線経由という
現在のルートに落ち着いた「あけぼの」。
当初は青森運転所のEF81が全区間を担当していましたが、
平坦地用のEF81は上越線内での空転が問題となり、
2010年より上野~長岡の牽引には勾配に強い
長岡運転所のEF64が使用されることになりました。
これは牽引機変更の初年度のみに見られた、
EF64 0番台(38号機)の牽引シーン。
▲09.6.19 東北本線 尾久付近

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こちらは同じく長岡のEF64 0番台で、
ぶどう色(茶色)塗装の37号機。
このころ、上写真の38号機とこの37号機は、
連日のように「あけぼの」牽引に就いており、
まさかここにきて、
ロクヨンゼロのブルトレ牽引が実現するとは
思ってもみませんでした。
▲09.4.4 高崎線 宮原

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長岡のEF64が「あけぼの」牽引を任された翌年には、
同所が担当していた寝台特急「北陸」が廃止となり、
「あけぼの」の牽引は同じEF64でも、0番台から
主に「北陸」を牽引していた1000番台へと移行されました。
ところで、以前にも書きましたが、
朝7時前には上野に終着してしまう上りの「あけぼの」。
徒歩鉄の私だと、地元の初発列車で向かっても、
大宮近辺での撮影が限界・・・(゚ペ)ウーン…。
そこで一度、わざわざ熊谷のビジネスホテルで一泊して、
翌朝の「あけぼの」撮影に臨んだことがあります (゚∀゚)アヒャ☆
これはその時に撮ったもの。
▲10.5.2 高崎線 熊谷-行田

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しかし、「あけぼの」のルートには
豪雪の上越国境越えや強風の日本海沿岸など、
気象的に過酷な条件の箇所が多く、
時として大幅な遅延が発生することもしばしば・・・。
遅延することを決して喜んではいけませんが、
それにより、ふだんではまず撮れないような場所で、
偶然に撮影できたような機会もありました (゚∀゚*)オオッ!!。
これは記憶に新しい、昨年夏の上越線水上付近でのカット。
この日の「あけぼの」は東北地方の大雨による影響で
実に5時間半もの遅れが出ていました。
▲13.7.13 上越線 水上-上牧

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関東近郊で見られるEF64の「青いあけぼの」に対して、
長岡から先の羽越・奥羽本線の牽引を担当しているのが、
「赤いあけぼの」こと青森運転所のEF81。
近年の寝台特急衰退と言う現実的な危機感もあり、
晩年は何度か、この「陣場のお立ち台」などに撮影へ訪れました。
心残りは、寒さに怖じ気づいて、雪景色が撮れなかったこと・・・。
▲上・09.6.7 下・11.11.4 奥羽本線 白沢-陣場

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夜行列車の寝台特急「あけぼの」。
やはり夜の駅に佇む情景が似合います。
ルート変更を重ねてきた同列車ですが、
この大館駅には変わらず毎夜、姿を現していました。
▲11.11.3 奥羽本線 大館


かつては上野駅を発着していた多くの盟友たちが次々に堕ちていくなか、最後の国鉄型正統派ブルトレとして40年以上も走り続けてきた「あけぼの」。主に「乗り鉄」をしていた学生時代の私にとって、この列車は高嶺の花でした。当時、東北への夜行列車と言えば、周遊券で乗れる座席急行の「津軽」や「八甲田」「十和田」が定番。寒風吹きすさぶ青森のホームで「急行・自由席」と書かれた札の前に並びながら、隣のホームから優雅に発車してゆく「あけぼの」を眺め、「社会人になってお金が使えるようになったら、ぜったいにブルートレインに乗るんだ!」と、ショーウィンドウのトランペットを覗き込む少年のごとく、憧れを抱き続けていたものです。ただしその後、私がはじめて「あけぼの」に乗るキッカケになったのは、急行「津軽」の定期廃止という皮肉なものでしたが・・・(^^;)ゞポリポリ。

最近では乗車する側よりも撮影する側として、「あけぼの」を見る機会の方が多かった私。同じ寝台特急の「北斗星」や「カシオペア」のような派手さはありませんが、国鉄型電機が牽く美しいブルーの客車列車には、今も昔と変わらない眩しさと憧れがありました。運転終了は残念ですが、いろいろなシチュエーションで眺めた「あけぼの」の勇姿は、ずっと忘れることが無いでしょう。

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ブルートレイン「あけぼの」よ、夢をありがとう・・・☆
▲11.11.3 奥羽本線 大館

 



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懐かしの撮影記・・・常磐線651系「スーパーひたち」編 [あおたけ的 懐かしの撮影記]

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あおたけ的、懐かしの撮影記
「タキシードボディのすごいヤツ
常磐線651系「スーパーひたち」


東京では桜の見頃も終わりかけ、もうすっかり暖かな春本番・・・かと思いきや、このところの気温は寒暖の差が激しい。20度近くまで上がる初夏のような日があれば 。゚(;-ω-A)゚。アツー 、一転して、その翌日には10度を下回り、二月並みの寒さになることも {{{(;´д`)}}}サムー 。こうなると感覚を惑わされるのは早咲きの桜だけでなく、人間も同じです。よく「◯◯は風邪を引かない」などといいますが、季節にあわせて体調管理がウマくできずに風邪をひいてしまうのが、本当のお◯◯さん。かくいう私も、先週の中頃からどうも調子が悪くて熱っぽい。これは花粉症のせい・・・? いや、長年花粉症を患っていると、そのだるさが花粉症なのか、そうでないのかは解るもの。これは明らかに花粉症ではなく風邪の症状です (+"+;)ウーン。先週末の東京は天気こそ優れなかったものの、桜は満開をキープしていて、今年二週目の「桜鉄」ができるチャンスでした。しかしムリして撮影に出かけて風邪が悪化し、新年度早々に欠勤となってしまっては情けない・・・というより、社会人として恥ずかしい。ここは散りゆく桜に名残惜しさを感じながらも、先週末は非鉄を決め、家でおとなしく静養することに・・・ (*´ー`*)オヤスミ。おかげで体調はすっかり回復。無事に万全の体勢で新年度を迎えることができました。しかし体は回復したけれど、そんなワケで今週は撮影記ネタがありません。


そこで今回は久しぶりに「あおたけ的、懐かしの撮影記」として、過去に撮った写真なんぞを引っ張りだしてみたいと思います。今回のネタはタイトルにもあるように、先月のダイヤ改正で常磐線の特急「スーパーひたち」から撤退した、651系。実はこの写真、ダイヤ改正の直後くらいにお見せしようと思ってスキャンしていたのですが、早咲きの桜や東横線渋谷駅のネタなどを紹介しているうちに流れてしまい、出しそびれていたのでした。651系の写真といっても情景写真や芸術的なものなどは一枚もなく、ほとんどが単なる「記録写真」。でも今となってはちょっぴり懐かしくて、貴重と言えるものもあると思われますので、651系「スーパーひたち」のメモリアルとして楽しんでいただけたらと思います (今回はいつもに増して、鉄分が濃くてマニアックな内容かも知れません・・・^^;)。

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89年のデビュー以来、24年もの長きに渡って
常磐線のエースとして活躍してきた
651系「スーパーひたち」。
今春のダイヤ改正で、ひとまず運転を終えました。
12.03.21 常磐線 馬橋

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まずご紹介したいのはデビュー前のチラシから、
キャッチフレーズは「タキシードボディのすごいヤツ」。
まだ正式な列車愛称はなく、一般での募集が行われていました。
完成前の通称で、すでに「スーパーひたち」と言われていた新型車。
一般公募までしたのだから、
まさかそのままの愛称にはならないだろうと思いきや、
結果は「スーパーひたち」に・・・ (´Д`;)ナンダカナァ...。

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常磐線の各駅に配布されていた651系のカタログ。
上の大判は一般者向けだと思われますが、
下の小冊子は編成表や主要諸元などが掲載された、
本格的なカタログ仕様(タイトル写真も参照)で、
これが駅のラックに配布されていたのは珍しいことかも。

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兵庫の川崎重工で落成した651系の甲種輸送。
東海道線の大船でPF1047号機牽引を撮影したものの、
ピン甘で撃沈・・・orz。
このときの甲種輸送は所属先である常磐線の勝田へ
直接搬送されるのではなく、
いったん東北線の小金井(電車区)へ輸送され、
後日、そこから試運転を兼ねて、
小金井から勝田へと自力走行したと記憶しています。
90.1 東海道本線 大船

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ピン甘撃沈のリベンジをすべく、二度目の甲種撮影。
今度はEF66 103の牽引でした。
今でこそ珍しくないロクロク100番台、通称「サメ」の甲種ですが、
当時は89年にデビュー(増備)したばかりの新型機関車で、
まだ数も少なく、甲種輸送に当てられるのは珍しいことでした。
でも今思えば同じロクロクでも、0番台の方が良かったな・・・(´・∀・`)
90.2 東海道本線 大船

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甲種輸送の後追い。
ちなみにこの写真の甲種輸送は三枚とも、
90年に増備された二次車のものです。
90.2 東海道本線 大船

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おまけ・・・①
同じ日のスリーブには先のダイヤ改正で無くなった、
185系の普通列車運用(521M)が写っていました。
よく見るとこの編成、横帯の「リレー号」塗装と、
斜め帯「踊り子」塗装の混結です(^^)。
90.2 東海道本線 大船

0006.jpg

営業運転を前に常磐線で試運転を行う、
ピッカピカの651系 ∠(≧∀≦)マブシイッ。
同車はこの先、定期列車としては一貫して
常磐線の特急で使われ続けることになります。
(過去、651系が多客臨時列車に使われたのは、
常磐線の勝田から吾妻線の万座・鹿沢口まで運転された
特急「オーク嬬恋」くらいだと思われます。
その時のマークは、たしか「臨時」表示だったはず)。
89.2 常磐線 我孫子

0007.jpg

上野で先輩の485系「ひたち」と並ぶ、
「スーパーひたち」の651系。
テールランプの形が今とは若干異なっています。
485系と651系の競演は、485系がE653系によって
完全に置き換えられる98年までの、約9年間続きました。
89.3 東北本線 上野

0008.jpg

89年にデビューした651系「スーパーひたち」。
翌年の90年には栄誉ある「ブルーリボン賞」を受賞。
常磐線では記念列車が運転され、特別マークも掲出されました。
90.7 常磐線 北小金

0009.jpg

晩年にはこのブログでも「偕楽園マーク」
盛り上がった651系の特別ヘッドマーク。
上の「ブルーリボン賞」の他に、
「常磐線100周年記念」などというのもありました。
これは勝田電車区で行われた撮影会でのカットですが、
実際にしばらくは営業運転の「スーパーひたち」でも
この「100周年」マークが掲出されていました。
走行シーンを撮っていないのが今となっては悔やまれます。。。
96.10 常磐線 勝田電車区(当時)

0010.jpg

おまけ・・・②
上写真の勝田電車区公開日に運転された、
常磐線100周年記念「レトロトレインときわ」号。
EF81 95+旧客という豪華編成、
駅撮りでなく沿線で走行を撮りたかったところですが、
実はこのイベント列車を私は撮る側ではなく、
乗る側として楽しんだのでした。
かつて常磐線を走っていた客レの雰囲気を、
味わいたかったんだよね・・・(^^;)
96.10 常磐線 水戸

0011.jpg

いっぽう、先のダイヤ改正で651系とともに、
常磐線の定期運用から離脱した「フレッシュひたち」用・E653系。
こちらもかろうじて一枚、甲種輸送のシーンを撮っていました。
E653系は651系とは異なり、
EF81牽引の輸送列車で直接、勝田へ搬入されたようです。
97.8 常磐線 北小金-南柏

0012.jpg

落成直後、勝田へ向かうE653系。
この日輸送されたのはグリーンカラーの編成でした。
97.8 常磐線 南柏-北小金(後追い)


以上、651系のデビュー当時などを中心に、写真を並べてきました。
JR東日本が初めて新製した特急形車両651系もデビューからはや24年が経ち、先のダイヤ改正で第一線となる特急「スーパーひたち」から完全撤退してしまいました。しかし定期運用は失ったものの、今のところ廃車になった車両はなく、一部は延命と見て取れる全般検査を通しているところなどをみると、まだまだ活躍の場が与えられるのではないかと個人的には思っています。651系の今後の動向について私は詳細を知りませんが、もう一度この「タキシードボディ」と再会できる時を楽しみにしたいもの。なので今、「さよなら」は言いません。いつかまたどこかで会おう、651系! (`・▽・´)ノ

1227.jpg

常磐線を颯爽と駆け抜けた白いヤツ、651系。
もう一度その力強い走りが見られることを期待しています!
12.12.29 常磐線 藤代-取手

 

今週も寒暖の差が激しい気まぐれ天気が続くようなので、みなさまも風邪などにはくれぐれもお気を付けください・・・。(´Д`;)オマエガナー
 

 

 



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懐かしの撮影記・・・早朝の福島駅「あけぼの」編 [あおたけ的 懐かしの撮影記]

あおたけ的、懐かしの撮影記
嗚呼、白帯の24系・・
早朝の福島駅 ED75重連「あけぼの」


先々週が多客臨の急行「平泉・いわて物語」号、そして先週は団体列車として、週末に二週連続で東北本線を走ったED75牽引の24系客車(いわゆるブルートレイン)。前者はちょうど海外出張と重なり、後者は走ることすらまったく知らず、私はそのどちらも撮ることはできませんでした。私的にこの鉄道趣味を楽しむポリシーとして、「深追いするようなムリはせずに自分のできる範囲で乗り・撮りを楽しみ、状況や結果であまり他人を羨まない」ということを頭に入れています。しかし今回運転された二本の24系臨時列車は、今どきED75がブルトレを引くこと自体が貴重なのに加え、なんと24系客車も編成全部が白帯車で統一されたというこだわりよう。これは正直言って撮影された方が羨ましくないはずがありません。私も時間が合えば、情報があれば、東北へ行って撮影したかったところです。そこで今回は負け惜しみというわけではありませんが、私が過去に撮ったことのあるED75牽引のブルトレの中から、白帯車がきれいにそろった、この写真をピックアップしてみました。

時は90年夏。本格的に始まった山形新幹線直通化による改軌工事によって、奥羽本線の福島~米沢の名所である「板谷峠の連続スイッチバック」は廃止目前。夏休みや盆休みには、その終焉を記録しようと全国から「乗り鉄」「撮り鉄」がこぞって板谷へと集まり、かくいう私もその一人でした。日中はスイッチバックの各駅を巡って、EF71・ED78が牽引する50系客車の普通列車や485系の特急「つばさ」を撮影し、夜はホテルなど泊まらずに福島駅で一夜を明かすというスケジュール。これは宿泊費を浮かせるためではなく、深夜から早朝にかけて福島駅へやってくる夜行列車を撮影するのが狙いでした。今ではどうか解りませんが、当時の福島駅は深夜2時頃に停車する急行「津軽」などの利用者のために終夜営業していて、ずっとホームの待合室にいても追い出されることはなかったのです。

9080.jpg

EF71 5牽引、14系座席車の急行「津軽」。
前面が真っ暗だったせいか、ピンボケ。
さらに右上には同業者の腕が入ってしまっています・・・。

ところが思うことは皆同じで、深夜の福島駅は鉄が大集結。ホーム上には早くから三脚の林が出来上がっています。ここまでして撮りたい一番の狙いは、早朝に上がってくる寝台特急「あけぼの」。実は件の工事ではスイッチバックの廃止だけでなく、板谷峠を通っていた「あけぼの」も、福島~新庄がこれまでの奥羽本線経由(福島~米沢~山形~新庄)から、東北本線・陸羽東線経由(福島~仙台~小牛田~新庄)へと変更を余儀なくされ、板谷峠用交流電機のEF71・ED78は「あけぼの」牽引からの撤退が決定。徹夜をしてまで早朝の福島に多くの鉄が集まったのは、そのEF71・ED78最後の特急牽引という勇姿を記録するためでした。しかし、当時の私はすでに出来上がっていた三脚の林に怖じ気づいて場所取りには参加せず、お目当てのEF71重連は編成の入らない位置での撮影となってしまいました。

9081.jpg

EF71 3先頭、EF71重連の「あけぼの」。
奥羽線の板谷峠で活躍したEF71は、
同線の標準軌化によって全機が引退してしまいました。

ここ福島で機関車が付け変えられるため、早々と切り離されてしまった重連のEF71(写真にも切り離し作業の係員が写っていますね)。変わりにこの先の福島から黒磯までを牽引する、ED75が入ってきました。もうこうなると林と化していた三脚は次々と撤収してゆき、撮影場所にもいくらか余裕ができてきます。今でこそ超貴重なED75牽引のブルトレですが、当時はまだED75ならいくらでも撮れるという状態だったのですね(ルート変更後も「あけぼの」は、黒磯~小牛田、新庄~青森で、引き続きED75牽引でした。その後、秋田新幹線開業に伴い、現在の上越・羽越経由へと変化)。

9082.jpg

ED75 734先頭、ED75重連の「あけぼの」。
現在でも数機が活躍するED75ですが、当時とは全面窓の白Hゴムや
運転席窓のサッシ化などの変化が生じています。

それでも連結されたED75は、当時としてもちょっと嬉しい重連でした(「あけぼの」のED75が重連になることは少なくなかったものの、通常は単機牽引)。しかもよく見れば、先頭は700番台ですが、後ろはデカパン・ヒサシ付きの0番台じゃないですか。EF71では撮れなかった編成の入るアングルから眺める、ED75重連牽引の白帯24系10連。堂々たる寝台特急「あけぼの」の姿です。

先日運転されたED75が牽引する白帯24系。その姿にかつての寝台特急「北星」や「ゆうづる」を思い浮かべた方も多いと思いますが、撮影された皆さんの力作、秀作を拝見して、私が真っ先に思い浮かんだのは、この福島で撮った「あけぼの」の姿なのでした。ちなみに写真がモノクロなのは懐かしさを強調するためのデジタル加工ではなく、この頃はフィルム代や現像費を浮かすためにモノクロフィルムで撮影して、自分で現像していたのです。トライXのD76現像、ちょっと粒子が粗いかな?

写真はすべて90年8月30日、東北本線・福島駅にて撮影。



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懐かしの撮影記・・・クリーム色の東武野田線 編 [あおたけ的 懐かしの撮影記]

あおたけ的、懐かしの撮影記
クリーム色の東武野田線


梅雨真っ只中で関東は曇り空続き、さらに仕事面では来月アタマにちょっと大きな仕事を抱えていて、土日もその準備等に終われる始末。そんなワケで北海道遠征以来、非鉄の週末が続いています(近場でちょこちょこ、京葉線などは撮りに行っていたけど・・・)。そこで今回は久しぶりに、過去に撮影した写真を引っ張り出してみることにしました。

先月の中ごろ、撮影で訪れた東武東上線。そこでの狙いは最後の未修繕8000系(8111F)、いわゆる「東武顔」の電車でした。

8009.jpg

東武顔最後の一本となった8111F
11.05.15 東武東上線 下板橋(再掲)

私の世代からすると、やはり東武線と言えばこの顔。千葉の柏に住み、学生時代には野田線で通学していた私にとっては馴染み深い顔です。そしてその当時の東武は、垢抜けないクリーム一色を纏っていました。東武のリバイバルカラーと言えば、数年前にオレンジ&ベージュの8000系登場時の塗装が復元されましたが、この「セイジ・クリーム」と呼ばれた一色塗りはその後の色。現在のホワイト&ブルーになる前に見られた色です。東上線の回で「もう一度セイジ・クリームの東武顔が見たい」というコメントをいただき、自分自身も懐かしいクリーム時代の東武線を見てみたくなりました。そこで今回の発掘作業へと至ったのです(ちろさん、お待たせいたしました ^^)。
ただし、前述のように私が主に利用していたのは野田線で、伊勢崎線や東上線などの本線系統の写真などはあまりありません。というよりも、この当時は国鉄(JR)ばかりが興味の対象となっており、東武などついで程度に撮影していたものがほとんど。まさにネガの端っこに一枚だけ写っていた・・・なんてものをかき集めてみました。貴重な写真などはありませんが、同世代の方々にちょっとでも当時を振り返って、懐かしんでいただけたらなどと思っています

それでは、27年前の東武野田線・柏駅へ・・・。

8002.jpg

セイジクリーム一色時代の東武野田線。
「ついで程度」を象徴しているかのように、柏駅・常磐線ホームからの撮影です。
8000系と同じ東武顔をしていますが、この電車は3000系。
旧型車の車体更新により製造された吊り掛け駆動車で、18メートル3扉の小型車。
正面屋根上には、まだ通過表示灯が残されています。
84.10 東武野田線 柏

8003.jpg

同じく3000系。大宮方面行きの電車です。
この3000系は通過表示灯が撤去され、オデコには車番が書かれています。
88.02 東武野田線 柏

8004.jpg

上写真と同じ場所から別カット。
ホームを挟んで新旧塗装の並び。どちらも3000系です。
クリームからホワイトへの塗装変更は85年頃から始まりましたが、
野田線の3000系は比較的、後年までクリームが残っていました。
廃車を前提として、塗り替えられなかったのかも・・・。

8001.jpg

こちらの東武顔は5000(5050)系。
3000系と同じく旧型車を車体更新した吊り掛け駆動車ですが、
8000系と同等の20メートル4扉の大型車。
何よりも嬉しかったのは、冷房が搭載されていたことでした。
通過表示灯が残る原形車ですが、よく見ると後ろの方は新色です。
86.05 東武野田線 柏

8005.jpg

柏での停車写真が続きましたが、いちおう走行写真も撮っていました。
単線時代の新柏付近で撮影した3000系

これもわざわざ狙って撮ったというよりも、

カメラのテストを近場でやった時の一枚。
それにしても、25年前のこの写真と上の最近撮った東上線を見比べると、
私の撮影スタイルはあまり変わっていませんね(^^;)
86.06 東武野田線 新柏-柏

クリーム時代の野田線の写真、まだ何枚かあったのですが、ほとんどが柏駅で撮った似たようなカットばかり。もう少し変化のあるものは無いかと探していたら、一本のスリーブにこんな写真が残されていました。野田線では無く、これは非鉄の友人たちと東武動物公園へ遊びに行ったときに、たまたま撮影したものです。

8006.jpg

まずは行きがけに乗ったと思われる、2000系。
日比谷線直通用の18メートル3扉の非冷房車。
低運転台の東武顔はちょっと愛嬌があります。
87.11 東武伊勢崎線 春日部

8007.jpg

東武の電気機関車ED5060。車掌車を従えて待機中。
貨物牽引も何度か撮影しているはずなのですが、今回は発掘できませんでした。
87.11 東武伊勢崎線 東武動物公園

当時の東武動物公園駅には東武の杉戸工場が併設されていました。その敷地内には役目を終え、解体待ちの車両たちの姿が・・・。どれも現役時代の写真を撮りそこなった車両ばかりです (´・ω・`)

8008.jpg

快速用の東武顔車両、6000系。
野岩鉄道の開業とともに車体を6050系に更新され、6000系は消滅。
好きな車両だったのに、引退時期は「非撮り鉄」時代でした・・・。
87.11 旧・東武杉戸工場

8009.jpg

83年に廃線となった東武熊谷線(熊谷~妻沼)で活躍していたキハ2000形。
残念ながら熊谷線には乗ることができませんでした。
現在でもキハ2000は一両、妻沼に保存されているそうですね。
この写真、敷地内の奥までは入れませんでしたが

よく見ると7800系と思われるクリーム色の車体も見えます

この頃は1700系「DRC」や1800系「りょうもう」など、今考えると貴重な車両がバンバン走っていた時代なのですが、もったいないことに、そのほとんどを写真に残していません。しかしそんな中でも唯一、しっかりと狙って撮っていた東武の車両がありました。それは特急用に製造された名車・5700系。私が興味を持った頃にはすでに特急運用からは退き、臨時快速や団体用としての活躍が主体。しかし、その美しいフォルムは健在でした。

8011.jpg

鬼怒川線に入線した5700系。
今なら迷わずに走行写真を撮るところなのですが、
このときはじっくりと5700系を眺めたくて、
わざわざ終点の鬼怒川公園まで駅撮りに行っています(^^;)
89.10 東武鬼怒川線 鬼怒川公園

8012.jpg

対向ホームから編成撮り。
二つの扉間にずらっと並んだ小窓が美しい・・・。
写真を眺めていると、今でもコンプレッサー音が聞こえてくるようです。。。

8013.jpg

珍しくこんな細部まで撮影していました。
5700系の連結部です。
そういえば幌のない5700の顔って見たこと無いなと思っていたら、
両側に幌が付けられていて、幌同士を繋いでいたのでしたか。
今になって初めて知りました・・・。

実はこの5700系、小学生の時に日光への修学旅行でお世話になった想い出の車両。普段は伊勢崎・日光線系統での運転が多かった5700系ですが、修学旅行シーズンになると野田線へと乗り入れて、大宮や柏、ごく稀に船橋まで顔を出すこともありました。

8010.jpg

「たびじ」のマークを掲げ、修学旅行臨として野田線へ乗り入れた5700系。
88.05 東武野田線 新柏-柏

5700系が柏に停車しているのを見ると、ああ修学旅行シーズンか・・・と思ったものですが、5700系退役後の今はどうなっているのでしょう? 後継の6050系や350系などで運転されているのか、はたまた少子化でバスになってしまったのか・・・。
ちなみに5700系は引退後、特急時代の非貫通スタイル(いわゆる「ねこひげ」)に復元されて東武博物館に保存されています。

セイジ・クリーム時代の東武線。最後はちょっと脱線してしまいましたが、時代的には5700系もほぼ同時期に撮影されたものです。この過去の写真たちは先に述べたように「ついで程度」に撮られたものばかり。しかし今になって振り返ると、どれも懐かしい貴重な一枚となっています。今は更新8000系で統一されて面白味に欠ける野田線ですが、いつかステンレス車で統一されたときに懐かしめるよう、久しぶりに野田線を撮影してみようかな・・・なんて思っています。

8014.jpg

東武つながりでもう一枚・・・
東武100系「スペーシア」の甲種輸送シーンです。
このときは、営業運転で再びJR線上を走ることになるとは、
夢にも思わなかったなぁ・・・。
原色のロクロクも、今となっては貴重な記録かも。
90.03 東海道本線 大船


ところで、いちばん最初に載せた東上線の8111F。ついに引退が決定し、明日28日と明後日29日には特別ヘッドマークが掲げられるとの事 (なぜ平日なんだ・・・) 。詳しい運用も発表されていますが、撮影に行くのはちょっと難しいかな。。

 

6/28追記
マークの付いた8111F、撮影は難しい・・・などと言いながら、なんとか一往復だけ狙うことができました。しかしあまり時間はなかったので、手軽に大山での駅撮りです。

8111.jpg
まずは未修繕の「東武顔」が先頭となる池袋行きの上り列車。
既報通り前面のサボ受けには「Thanks 8111」の
記念マークが入れられています。
11.06.28 東武東上線 大山


大山はカーブの途中にある駅で、上りは引き付けても二両程度しか入りません。そのため不人気なのか、他の駅では多く見かけた同業者はゼロ。でも実は私の狙いは、すぐに池袋から折り返してくる下り列車でした。ここは下りを後追いで狙えば、カーブを走り去る姿を正面気味にカッチョよく撮ることができるハズ。ところが・・・

8112.jpg
折り返し、下りの急行・小川町行きとして
大山を通過してゆくマーク付きの8111F。
11.06.28 東武東上線 大山


ああ、カブられてしまった・・・orz。もちろん正面気味に狙っているので、顔が見えないわけではありませんが、やっぱり最後はピシッと決めたかったなぁ。残念ながら、これが私の撮る東武顔のラストカットになってしまうようです。

8113.jpg

 

さよなら、東武顔の電車・・・(´;ω;`)



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京王・・・6000系 動物園線撮影記&懐かしの撮影記 [あおたけ的 懐かしの撮影記]

6001.jpg

ありがとう京王6000系SP
動物園線撮影記&懐かしの撮影

3月上旬での引退が決まっている京王6000系。前回の1月に紹介した競馬場線からは既に撤退し、残るは動物園線(高幡不動~多摩動物公園)で活躍する6722Fのみとなってしまいました。

6002.jpg

動物園線で最後の走りを見せる6000系・6722F。
カーブを行く姿をドカンと正面撮り。
動物公園側に掲げられているのは高幡不動乗務区オリジナルのもの。
この撮影地はゆるキャラさんのブログを参考にさせていただき、
大変助かりました!m(_ _)m
11.02.26 京王動物園線 高幡不動-多摩動物公園

6003.jpg

高幡不動側は競馬場線のときと同じ、京王公式マーク。
今度はきっちりと4連の編成を入れて撮影。
お、「高幡不動」幕だ・・・。
11.02.26 京王動物園線 多摩動物公園-高幡不動

6722Fは5扉車の4連。全盛時の8連・10連にはおよばないものの、競馬場線の2連より迫力があって、カーブを行く姿も画になります。片側だけですが競馬場線とは違う惜別マークを掲出しているのも、ファンにとっては嬉しいですよね。でも、これが旧塗装だったらなぁ・・・なんて贅沢をつい思ってしまいます。というのも、やはり私が思い浮かべる6000系の姿と言えば、アイボリーに細いエンジ色の帯を巻いた「京王帝都」時代の塗装で、シンプルながら上品なカラーリングは大型の6000系にとてもマッチしていました。近年ではリバイバルカラーとして旧塗装が施された2連の6416Fが競馬場線を中心に運転されていましたが、既に運用を離脱。私は前回の撮影後になんとか平日夜の東府中で撮影できた程度でした。

6866.jpg

惜別マークを掲げて夜の競馬場線運用に就く、旧塗装の6000系。
現在の競馬場線は7000系で運転されていて、この光景は過去のものに。
11.01.19 京王競馬場線 東府中

6416.jpg

スカート側の6416には青いマーク。やはり6000系にはこの旧塗装が似合います。

6867.jpg

リバイバルカラー車にはかつての「KTR(=京王帝都)」マークも復刻。
細部にまでこだわっていました。

そんな旧塗装の6000系。リバイバルではない現役時代に一枚くらい走行写真を撮影してないものかと、過去に撮影した写真ファイルをちょっと探ってみることに。すると、「2001年1月 京王・東急」と書かれたスリーブを発見! 果たしてそのスリーブに6000系が写ったコマはあるのでしょうか・・・?
ここからは「懐かしの撮影記」として、そのスリーブから数点の写真をピックアップしてみました。


今からちょうど10年前の2001年1月。私は冬のボーナスで念願の300ミリ望遠レンズを購入しました。今ではデジタルズームなどで300ミリは手軽に届く望遠域になりましたが、光学一眼レフを使っていた当時の私にとっては憧れの領域。しかもこれが初めて手に出来たキヤノンのプロ仕様Lレンズ、通称・「白レンズ」でした。買った翌日、さっそく新しいレンズの試し撮りにと出かけたのが京王線。それにしても、テストになぜ近場の中央線ではなく、よりによってあまり縁の無い京王を選んだのかと言うと、実はこの日の京王では、ある臨時列車が運転されていたのです。

9002.jpg

この日、京王での本命はコレ。9000系デビュー記念の臨時列車で、
ヘッドマークを掲げた記念列車は望遠レンズの試し撮りに最適でした。
車両や線路端には前日に降った雪が積もっていますが

天気は良好だったようです。
01.01.21 京王線 千歳烏山-仙川

そんな臨時列車撮影ですが、もちろんぶっつけ本番というワケではなく事前に色々と試し撮りしています。7000系、8000系・・・そして、探していた6000系もありました~!もちろん旧塗装!

9001.jpg

本線を走る旧塗装の6000系。既にスカートが取り付けられています
上のリバイバルカラーと比べると、貫通扉付近の塗り分けなど
若干の違いが見られますが、個人的にはこちらの方が馴染みがあります

都営新宿線から直通してきた、相模原線・橋本行きの快速。
01.01.21 京王線 仙川-千歳烏山

よく見ると隣にも旧塗装の6000系が写り込んでいます。この頃はまだまだ6000系は主力で、何本も走っていたのでしょう。ただしデジタルと違って、36枚撮りのフィルムでは来たものを片っ端から撮るなんて事はできず、かなり厳選して撮影しているので、6000系はわずかにこの一枚だけでした。京王での目ぼしいカットはこれくらいだったのですが、せっかくなので同日の撮影記を続けましょう。この後、近くの仙川から上り列車に乗って向かったのは下高井戸。前述したスリーブに書いてあった「東急」とは、世田谷線のことだったのです。この頃の世田谷線は80形や150形の旧型車から現在の300形への転換期で、折りしもこの日を含めた数日間には最後まで残った80形の81Fに惜別マークが掲げられていました。

9006.jpg

雪晴れの世田谷線を走る、惜別マーク付き「玉電」塗装の81F。
この塗装は旧形車引退に伴い、2000年12月に復刻されたもの。
01.01.21 東急世田谷線 松原-下高井戸

9005.jpg

新鋭300形も撮影しています。これは「Qoo」の広告ラッピング車。

9003.jpg

折り返してきた「玉電色」をタテ位置ドッカン構図で撮影。
10年前も同じようなアングルで狙っていたんですね・・・(^^;)。
それにしてもこの80形、外観はもとよ

木造ニス塗り壁、板張り床と内装に味のある電車でした
もっといろんな撮り方をしておけばよかったなぁ・・・。
01.01.21 東急世田谷線 下高井戸-松原

9004.jpg

同時に残っていた150形。
この車両はサイドのステンレス・コルゲートが最大の特徴なの

真っ正面撮りとは・・・(- _ -;)
150形も、もっと撮影しておくべき車両でした。

ここまでの写真、気づかれた方がいるかもしれませんが、実は全部300ミリ一本での撮影。というよりもこの日は300ミリしか持ってきていなかったのです。いくら買ったばかりとはいえ、短焦点の望遠一本で撮影とは無茶苦茶ですよね。しかもあまり使いこなせていないし・・・。おかげで世田谷線はイモムシみたいな写真ばかりになってしまい、もう少ししっかりと記録しておくべきだったと、今さらながら後悔しています
以上、2001年1月の撮影記でした。結局、今回の趣旨である京王6000系は一枚しか無く、しかもついで程度の撮影。でも、その「ついで」が後々こうやって貴重な一枚になるものなんですよね。デジカメ時代の今、ピント合わせなどで試し撮りした車両など確認したらすぐに消してしまう自分・・・ひょっとしたら数年後には貴重な記録になるかもしれないので、メモリが許す限りは消さずにとっておくべきなのかも知れません。

ついでに京王6000系にまつわる写真をもう一枚。前回の競馬場線のときにちょこっと触れた、6000系の「迎光」号。そう、私が初めて雑誌に投稿して採用された写真です。その写真も今回発掘することができました。

9008.jpg

元旦の新宿駅に停車中の6000系「迎光」号。
スカートが取り付けられていない、オリジナルに近い姿です。
88.01.01 京王線 新宿

読者投稿ページの正月企画で、新春マークや初詣臨などが並べられた中に小さく載っていたのがこの写真。前にも書きましたが、自分の撮った写真が鉄道雑誌に載っている・・・本当に嬉しかった一枚でした。今回の6722Fに付いている高幡不動乗務区の惜別マークは、特急「高尾」「陣馬」そして「迎光」、それぞれのイラストを複合させたものなのだとか。確かに中央には「迎光」を思わせる日の出のイラストがあります。あの頃の思い出がよみがえってくるようなマークが、最後の6000系で見られるとは・・・感無量の思いでした。

6010.jpg

ありがとう、さようなら・・・京王6000系。
11.02.26 京王動物園線 高幡不動-多摩動物公園



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懐かしの撮影記・・・485系「雷鳥」雪中撮影編 [あおたけ的 懐かしの撮影記]

あおたけ的、懐かしの撮影記
485系「雷鳥雪中撮影


北陸本線の485系 特急「雷鳥」。今年三月での引退が決定している同列車にとって、最後の冬は記録的な大雪が続き、とても厳しいものになりました。しかしそんな大雪に負けじと走る「雷鳥」の力強い写真をいろいろなHPやブログで拝見し、これは無理をしてでも冬休みに北陸へ「雷鳥」撮影に行くべきだったかなぁ・・・と、今さらながら後悔しています。結局、今冬は時間的にも経済的にも余裕が無くて、北陸への遠征は叶いませんでした。そこで今回は二年前の冬に撮影した、雪中での「雷鳥」撮影記をプレイバックしたいと思います。「懐かしの」と言うほど昔の話ではないのですが、私がまだこのブログを始める前の撮影だったので、このカテゴリーに入れさせていただきました。


2008年の年末。東京は快晴が続いていましたが、北陸地方には大雪警報が出されていました。そう、ちょうど今年最近(2011年1月)のような天気だったのですね。雪国の人には申し訳ないけれど、北陸地方が大雪と聞くと「雷鳥」を撮りたくてウズウズしてしまいます。国鉄時代からの名車485系が引退してしまう前に一度、北陸本線らしい雪景色で「雷鳥」を撮ってみたかったのです。そこで大雪警報が出されたこの日、退勤後にそのまま米原経由で福井県の敦賀まで行き一泊。翌日は早朝から「雷鳥」と寝台特急「日本海」狙いで、南今庄へとやってきました。敦賀の雪は路面にうっすらと積もる程度で拍子抜けでしたが、北陸トンネルを抜けた南今庄では期待通りの積雪。さっそく今庄寄りの直線ポイントでカメラを構えて列車を待ちます。

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4004M 特急「雷鳥4号」 08.12.27 北陸本線 今庄-南今庄

初っ端から雪煙を巻き上げる485系の「雷鳥」が撮れました。しかしパノラマグリーン車が先頭の「4号」は狙いの本命ではありません。今考えるとなんとも贅沢な話ですが、どちらかというと朝の本命は、この「4号」の30分後に来る「日本海」の方。ところがその「日本海」の姿は通過時刻を過ぎてもいっこうに見えてきません。しかも次第に雪は強くなり、あっという間に猛吹雪。寒さでレリーズを持つ手の感覚が失われはじめた頃、降りしきる雪の向こうにようやくカマ(機関車)らしき二灯の光が見えてきました。・・・「日本海」か?

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列番不明 EF81453牽引高速貨物

確かにカマでしたが、「日本海」ではなくEF81453牽引の貨物列車でした。果たして「日本海」はどのくらい遅れているのだろう・・・? 雪はさらに強さを増してゆきますが、大本命の非パノラマ車先頭「雷鳥8号」まで、二時間はここで粘るつもりです。

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316M 419系普通列車

普通列車の419系もご覧の通り。通過する列車を雪でグショグショになった時刻表と照らし合わせてみると、普通列車にも遅れが出始めています。この雪じゃ無理も無いかな・・・。それにしても寒くてツライ。他に同業者は無く、ジッとひとりで耐え続けてきましたが、もはや限界。まさに「なんだかとても眠いんだ・・・パトラッシュ・・・(-ω-`) 」状態になりかけたとき、不意にぱたっと吹雪がやみました。「(゚Д゚;) ・・・!?」

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4006M 特急「サンダーバード6号」

それと同時に通過したのは681系「サンダーバード6号」。上の419系からわずか15分後の光景で、まさに狐につままれたような気分。しかし、雪煙を豪快にまき散らす姿は迫力ありますが、画的にちょっと面白みがない。次が本命の「雷鳥8号」なのに、もう雪は完全にやんでしまったのか? 実際「8号」の定時通過時刻に雪は降っていませんでした。しかし「8号」は現れません。やはり遅れが生じている様子。すると再び空は暗転し、白いものが降り出しました。先ほどの419系のときほど強くはなく、適度な降雪状態。そこへタイミング良く飛び出してきたのは、遅れていた「雷鳥8号」!

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4008M 特急「雷鳥8号」

雪景色の国鉄色485系、これこそが私が撮りたかった「雷鳥」の勇姿でした。この一枚が撮れたことで、雪のなか待った努力が報われた気がします。それにしても、今度は681系から20分後の光景。ホント雪雲って予測が難しいですね。
まだ通過していない「日本海」は気がかりですが、上り列車を撮影するこのポイントは以上で撤収して、次は南今庄のホームで下り列車を狙います。

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4005M 特急「雷鳥5号」 08.12.27 北陸本線 南今庄

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4009M 特急「雷鳥9号」

ここでは「5号」と「9号」の二本を撮影。「8号」から一時間後の撮影ですが、すっかり雪はやんでしまいました。そう考えると、「8号」のときはよくぞ雪が降ってくれたと、天に感謝したほど。ちなみに南今庄のホームには何人かの同業者がいらっしゃったので、「日本海」の状況を尋ねてみると「あつみ温泉で抑止中」とのこと。あつみ温泉って、山形県じゃん・・・。撮影できないのは残念だけど、これでキッパリ「日本海」は諦めることができました。(最終的にこの日の「日本海」は金沢まで回送され、下りは金沢始発に変更。大阪~金沢には489系の代走が走ったらしい。もちろんマークは無く、代走でおなじみの「蛍光灯」)。

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4013M 特急「雷鳥13号」

ラストは再び朝と同じ場所の下りアングルで、「13号」を撮影。直前に日が出て、光線が厳しいかと思われましたが、雪の照り返しのおかげでなかなかいい色合いで撮影することができました。それにしても、さっきまで吹雪いていたとは思えない天気です。これで「雷鳥」撮影は終了。
・・・って、実はまだお昼前。本来なら午後は上りの光線状態が良くなる細呂木あたりに転戦して、もう一丁「雷鳥」撮影へ行くのがバリバリの「撮り鉄」なのでしょうが、私的に雪中の「8号」が撮れたことで満足してしまい、午後は今庄で名物の「今庄そば」を食べた後、鈍行で北陸線を南下。米原から大垣へ出て、経営移管後に初乗車となる養老鉄道を完乗してから東京へと帰ったのでした。

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08.12.27 養老鉄道 大垣


翌年冬、「日本海」のリベンジに同じ撮影地を訪れたところ、付近には「立入禁止」のロープと立て札が立てられていました。撮影当時は雑誌の撮影地ガイドにも掲載されていた南今庄の有名撮影ポイント。もうこのアングルで撮れなくなってしまったのが惜しまれます・・・。

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今庄名物の今庄そば。
皿に盛られ、大根おろしと一緒に食べるのが越前流。
手打ちの蕎麦は平たく堅めで、歯ごたえがあります。☆☆☆・・



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懐かしの撮影記・・・京葉線 編 [あおたけ的 懐かしの撮影記]

あおたけ的、懐かしの撮影記
京葉線


中央線から201系が引退して気が抜けてしまったというワケではないのですが、先週末は知り合いの結婚式に参列 (アッチャンおめでとー ^ ^) したりしていて、非鉄。今週末こそはどこかへ行こうかと考えていたところへの台風接近。さすがに大雨の中で撮影に出る気合いは無く、これで二週連続の非鉄となってしまいました。。。そこでちょっと過去の写真を探ってみたいと思います。ネタが無いときにアップする「懐かしの撮影記」、今回は今年全線開通20周年を向かえ、先日盛大な車両基地公開イベントなどが行われた「京葉線」をクローズアップ。

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今年全通20周年を迎えた京葉線の車両たち。
ちなみに20年間京葉線で走り続けているのは真ん中の205系のみ。
10.10.09 京葉車両センター (再掲)


東京と千葉を東京湾沿いに走る京葉線。現在では首都圏への通勤通学輸送や東京ディズニーリゾートへのアクセス路線として重要な役割を担う同線ですが、第一期に開業したのは西船橋~千葉港(千葉みなと)のわずか18.4キロ。この頃の京葉線はのんびりしていて、特急や快速の運転などもちろん無く、平日の日中などわずか4連で運転されていたこともありました。

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西船橋に停車中の京葉線用103系。低運転台初期車、全車非冷房編成です。
1986.03.02 京葉線 西船橋

写真は第一期開業日となった1986年3月3日の前日に撮った試運転列車です。本当なら開業日に運転されたヘッドマーク付きの記念列車が撮りたかったのですが、開業日の3月3日は平日の月曜日。今でこそ新線や新駅の開業は土・日に行われることが多くなりましたが、この頃のダイヤ改正は平日に行われていたんですね。今思えば、そこが「国鉄」らしさだったのかも。ちなみにこのダイヤ改正では埼京線の新宿乗り入れも開始されており、当日の私はそちらの延伸開業記念マークの撮影に行ってしまって、京葉線の記念マークは撮れずじまいでした。

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これも第一期の京葉線。
開業から四ヶ月も経ってようやく初乗りに出向いたときの写真。
上写真と同じアングルで恐縮ですが、隣には武蔵野線運用に就く201系
が写っていました。こちらも懐かしい・・・。
1986.07.06 京葉線 西船橋

第一期開業の翌年(1987年)には国鉄の分割民営化に伴い、JR東日本の一路線となった京葉線。第二期に当たる南船橋~新木場・西船橋~市川塩浜の延伸開業と千葉みなと~蘇我が旅客化したのはさらに翌年の1988年12月のことでした。東京駅まであと一歩というところまで近づいたこの延伸ではTDL最寄の舞浜駅が開業し、武蔵野線との直通運転も開始。現在の京葉線の基盤となる運転体系が確立されました。注目度も第一期のような「千葉の盲腸線」とは比べ物にならず、開業前からメディアなどに取り上げられることが多くなり、私もそんな京葉線を一足先に見てみたいと地下鉄東西線の浦安からオリエンタルランド交通(現在の東京ベイシティ交通)バスに乗って、試運転列車を眺めに行ったものです。

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開業前の京葉線に入線した建築限界測定試験。
DD51+ヨ+オヤ31+トラ+クモユニ143+トラ+ヨ+DE10
という珍ドコ編成。
1988.10 京葉線 新浦安付近

開業前の新線で行われる建築限界測定試験。編成に挟まれたクモユニの姿もさることながら、何より注目は建築限界測定車・オヤ31、通称「オイラン車」。建築限界を測るために飛び出した無数の矢羽根を花魁のかんざしに例えてこう呼ばれるのですが、なかなか洒落たアダ名ですよね。この写真ではその特徴が解りづらいのが残念ですが・・・。
この写真ですが、近くのマンションの踊り場から撮影しています。開業前の駅には当然入ることができず、なんとか見下ろせる場所を探したのでした。今ではマンション等に無断で立ち入ることは問題視されていて慎むところですが、当時は管理人さんに一声かければ撮影させてもらえたもので、この京葉線を見下ろせるマンションなどSLが走った際には撮影地ガイドとして某雑誌に掲載されていたほどのところでした。

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こちらは延伸開業直前の103系試運転列車。
既に記念のマークが掲げられています。
1988.11.27 京葉線 市川塩浜-新浦安(後追い)

そして迎えた開業日の12月1日・・・も平日でした。しかし当時、JR全線完乗にしゃかりきになっていた私はどうしても開業日に全線完乗を果たしたくて、なんとか夜に乗車。そのときに一応写真は撮ったもののどれもブレブレか真っ暗。下記に紹介する写真は後日、撮りなおしに行ったときのものです。

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新木場-蘇我・延伸開業記念マークを付けた103系。
先日行われた京葉区の公開で201系が付けていたものですが、
この頃の京葉線に201系はまだいませんでした。
1988.12.03 京葉線 新浦安

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直通運転が開始された武蔵野線103系にも記念マーク。
1988.12.03 武蔵野線 西船橋

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習志野区から借り入れたカナリアの103系も活躍していました。
ATS-Pの取り付け工事などで、車両が不足していたためと思われます。
1988.12.03 京葉線 新浦安

次に紹介するのは京葉線開業の歴史に直接関係無いのですが、1989年の千葉県民の日に撮影したこんな臨時列車。

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103系による「県民の日記念号」。
一灯の原型ライトとP型工事で潰された運行表示窓が特徴的な編成です。
1989.06.15 京葉線 千葉みなと

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こちらは高運転台車の103系。
マークの運転区間には千葉みなと-新松戸とあります。
1989.06.15 京葉線 千葉みなと

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房総方面からは113系で運転された記念号。
これは館山から内房線経由で来たものですが、この他にも外房や
総武線からの列車も記録してありました。
1989.06.15 京葉線 千葉みなと

実はこの臨時列車は偶然撮れたもの。というのも、千葉県民の日に行われるイベントに友人が大好きだったアイドルがゲスト出演するということで、千葉ポートパークまで連れ出されたのです。ちなみにそのアイドルとは、昨年世間を騒がせた「の〇P」さん・・・。20年後にまさかあんなことになろうとはね・・・(^^;)。

新木場延伸から二年後の1990年3月。第三期開業で京葉線は東京乗り入れを果たし、ようやく東京~蘇我全線開通となりました。それに伴いデビューしたのが赤いラインの205系。京葉線仕立てに前面をデザイン変更しての導入でした。今でこそ京葉線=赤いラインのイメージですが、当時は京葉線といえば青い103系の路線。新に加わる205系も当然ブルーのラインだと思っていた私は、205系の新製回送を見に行って赤いラインと変更された前面のインパクトに驚いた覚えがあります(205系新製回送の写真も撮ったのですが、今回は見当たりませんでした。いずれ出てきたら紹介できるかも・・・)。
全線開通日の3月10日、この日は土曜日だったので午後から出撃。東京駅のなが~い地下通路を初体験して、東京から乗車。このときも開業日に完乗を果たしています。

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新製投入された京葉線用205系、いわゆる「メルヘン顔」の営業運転初日。
1990.03.10 京葉線 新浦安

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全線開通記念マークは漫画家の高橋留美子さんがデザイン。
1990.03.10 京葉線 新浦安

晴れて東京~蘇我の全線が開通した京葉線。その告知ポスターや記念ヘッドマークのイラストデザインを担当したのが、「うる星やつら」や「めぞん一刻」、「犬夜叉」などでおなじみの漫画家・高橋留美子さんでした。もちろん当時から超売れっ子の有名漫画家。ヘッドマークと同デザインの開業記念オレカは即完売だったとか。記念イラスト、そこにはのちに京葉線のイメージキャラクターとなる女の子が描かれていました。開業時には名前が無かった女の子には、名前が一般募集され「マリン」と命名。

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「マリンです。どうぞよろしく」こんなマークも製作されました。
1990.07.29 京葉線 蘇我

当時の京葉線休日快速には「マリンドリーム」という愛称が付けられていました。「マリンドリーム」の「マリンちゃん」。ぴったりの名前ですね。その後の数年はポスターや等身大パネルなどで活躍した「マリン」でしたが、いつのまにか姿を見せなくなってしまいました。また「マリンドリーム」という愛称も「快速」に統一され、すでに過去のものとなっています。

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「マリン」マークを撮影した同日、こんな写真も撮っていました。
「LOOK EAST」キャンペーンのポスター電車。京葉線205系バージョン。
1990.07.29 京葉線 舞浜

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こちらは武蔵野線103系バージョン。
当時の武蔵野線はまだ6両編成でした。
1990.07.29 武蔵野線 南流山

スカイブルーの非冷房103系で部分開業から始まった京葉線。全線開業から20年経った今年はE233系5000番台という新たな車両を迎えて、まさに変革期の真っ只中。京葉線の通勤車だけでも実に5車種もの車両が活躍しています。京葉線の歴史を振り返ってみても、これほどバラエティーに富んだ時期はありません。現在の楽しい時期もしっかり記録して、この京葉線ライブラリーの続きに加えられたらと思っています。



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